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◇土肥けんすけ 駄々漏れ追記◇     

◎∈∞∋漫画描きの土肥けんすけの雑記やエッセイ∈∞∋◎

◇だらだらと、頭痛がするよ。
◇「よみがえる空」というヘリパイロットのアニメを見ていたら
「空を飛ぶのが好きじゃなくなったのは、空が自分を拒絶しているのではなく
自分が空を拒んでいたからだった」というようなセリフがあり、それを聞いて
「あ―。私が絵を描くのが楽しくないのは、そういうことなのかもしれない」
とか思いましたよ。

現在、阿吽の下書き中。
また遅れてます。ちょっとうまく描けないと、すぐさぼっちゃいます。だから
不貞腐れてしょっちゅうサボってます。

 
  ☆ここからは、去年の文章が混ざっています。
   なので、時間経過がむちゃくちゃです。

06 12/31
◇コミケで倒れちゃいました。
と言っても眩暈とかではなく、姿勢が保てなかった―、ということですが。

いえ、スペースで座ったまま横に落ちたチラシを拾い、姿勢を戻そうと
しただけなのですが
「あ。あれ。ああああああ」と十秒ぐらいやった後、体を戻せず倒れてしまい
ました。隣のサークルの人の前に崩れ落ちましたよ。
何か、すごく衰えている気がします。まずい・・・。実は自宅でも何回か。


07 2/某日
◇悪夢のせいか、荒い呼吸で目が覚めました。
(まぁ、息が出来なくて目が覚めるのはほとんど毎日なんですが。)

悪夢と言っても、私が見たのは・・。
どこかの国にある、某国大使館勤務の私。現在は、その国の反乱のとばっちり
にあい、反乱軍の襲来に怯えて日々の生活を送る一般職員という
「どこかの舞台劇か」という夢でした。

最後は、私が夜半に買い物から戻ると中が真っ暗で
「誰かいないの?」と声をかけると知った声で「だめだ。占拠された!」との
悲鳴を聞き、慌てた私は隣家の壁を登り、屋根伝いに逃げて終わりという・・。
悪夢と言って良いのかすらわからない夢でした。
最近、凝ったアニメをやたら見てるせいなのかもしれません・・・。
屋根伝いに逃げるという夢は、今までも何度か見てますけれども。

あ、今ちょっとマンガのネタ出ました。
何か、使えそうなのでここに書けません。ごめんなさい。
どうか、半年後くらいには具体化しますように。

06 12/?頃
◇で、アニメ見てますよ・・・。

『奥さまは魔法少女』
舞台のモデルは、山口県萩市ということですが、思うにここ数年「風景」
と一体化するアニメが増えてるのかな、という気がします。
おねティシリーズとか、七人のナナとか、ラーゼ、ゼーガ、STRATOS4他にも
色々・・・。

私自身も、昔からそういうのが描きたくて、その度に失敗してということが
あって共感できるところがあります。
特に、この話は「風景とそれを含む人」を守るというのがテーマになってる
ようですし。

 ☆以下、しばらくグダグダ文が続きます。これと言って意味はないです。

当たり前の風景や、家族を基本とする人との交わりが壊れ、そのことを指摘
すると「自由に生きる権利を奪うのか」と指差され、戸惑っているうちに
「こんな」になっていき、実際に楽だし、まぁ、そうなって落ちついてみると
「それが自由の形の一つ」なのは確かなのだろうと、理屈自体はごもっとも
で、なるほど、心や体を説得は出来はするものの、なのに落ちついて染みて
こないのは、人が機械ではなくて、生物、動物なのだからだろうと思います。

誰も見ないノートの切れはしに「幸せの方法」の正しい方程式だけを残したと
しても大地から人類の姿が消えた場合、その行為に実があったのを証明して
くれるのは誰なのかというそもそもの問題・・。

だから。
その「幸せの方程式」が理論上正しいとしても、人であるところの元ネタの
生物本体や、その営む生活が、確固とした理論の上に組み上げられたものでは
ない以上、ジグソーよろしく理屈がピタリ当てはめると考えること自体が
笑止笑止であり、むしろ結果不幸になり・・あるいは極端な話、滅ぶのは
不思議でもなんでもないわけです

いや、逆に言えば・・。
方程式として切り分けられないグダグダのものを切り分けたらグダグダになる
のは当然なので、なのだから、それを含めた「幸せ方程式」を作れば、それは
それで成り立つのだろうとは思います。 だがしかし。
それをするには、「人は基本グダグダであるのだから、その揺らぎを式に
入れるべき」と主張し是正しなければならず、その場合グダグダの元である
「人、動物としての業」を認め時に汚い部分やら本能を認めねばなりません。
そうすると、そうなると、我々が実の所は見れたものではない存在であると
いうのを、高らかに、公に、あからさまに宣言し、どころか書面数値化して
日々直面しなければいけないということで―

それも、なかなか認めがたいのだ―・・というもわかります。もちろん。

そのように、結局のところ社会生活の中では言えないことなどは、もはや
置いておこう、放っておこうと暗黙の中で落ちつく所に落ちついて―
でも、そうは言っても・・・でも。
人間としての正しさを生物としてのものより綺麗事で優先させることの軋み、
それはギシギシメキメキぐらょひょひょひょと心と体を結構確実に刻み
「ああ、わかったそうだよな」と頷き、ならぱと妥協し落とし所ということで
結果として一番言いたいことは直に言わず
「外堀から埋めて行く」という手法が―
「風景を守る」という、外側・外堀からのアプローチなのかと。はい、そう
思いましたのですよ。

 で、ここで話を戻します。

一番身近な他者との外堀は、家族との関係性であるわけで、居住する空間が
それらを補強内包します。
それらは、複数で近所として関係性として広がり、外周を作ります。
で、その一般生活の関係性の外堀で、一番象徴的なものこそ
「住まう場所としての目に入る風景」なのだろうとかと。
その外堀から、取り戻そうとしているのだな・・・、それを落とし所として
イメージしているのだな、この作品は、と私は思っています。いや
「奥さまは・・」の話ですよ。

つまり、住まう風景から取り戻して、逆算してそこに住まう家族を、最後に
人を取り戻していくという手法かなと。

これがもし逆に、個人(あるいは家族)から取り戻そうとする手法だと
人が壊れた結果としての町、言わば「壊れた関係性を良しとする状態で都合
良く住める所としてあつらわれた場所」に不自然に、人、家族を置くことに
なり、到底「取り戻したいもの」を築く状態にリアリティを持たせられないと
いうことなのでしょう。

生活導線が壊れた風景や家庭に取り戻したい家族の形を置くのは―
一種暴力ですので。

その意味で、主人公の奥様が求めたのは、絵としての風景というより、それを
愛することが出来る心を持った人々であり、その結果としてそれを保てるのが
あの風景だったと判断したのかとも思います。

あそこには、あの町には、子供の集団や変くつ住人や、年寄りの尊敬される
人等、あの風景があってこそ生存が許される人々がいます。
あそこでなければ、危険な目に合い、排斥され、そして邪険にされる人々。

あの環境を失わせたものこそ、「正しい方程式」として計算されたときに切り
捨てられた端数であり、人としての論理の正しさのごり押しにより失われた
生物としての隠れ住む「何か」であり、まさに「奥さま」の敵だったのだろう
と思います。

まぁ、私が言っていること自体、外堀から、外周から、言っているのです
けれども。言えないからですね。つまりはそういうことですね。
この環境を失わせ「地域のカギになる基本的な何かを奪ったもの」の対極が
「奥さま」というのを考えれば、敵の本丸にいるものの本性がどういうモノ
なのかはおのずから想像できる気もしますが。
繰り返しますが、ナニかを敵に回すのはイヤなので言いませんよ。
もちろんオタではなく。

でも、外堀から埋めていけば「綺麗ごとの人としての正しさ」をいつか
黙らせ、身動きさせられなくなる手法も可能であり、(綺麗事ゆえ、形のない
手法には弱い)それによってナニか生き物としての端数を取り戻せるのかも
知れません。なるほどなるほど。


まぁ、抽象的な御託は置いて。(私にも困ったものです。ほっとくといつも
コレですよ)

えーと。
この話は、一度町を消したシーンがあった方が良かったのか、それともやはり
無くて正解だったのだろうかとか考えました。

このアニメ、町が失われ、虚構があらわになるシーンがなぜかありません
でした、ほぼ。そのシーンが無かったために、「町は幻想」ということに
強い説得力を持たせられなかった気もしますが・・。
でもしかし。
むしろそこの所は置いておくことで、存在感の強固性を視聴者が住んでいる
町との共通に出来、にも関わらず不安定なところであると主に言葉だけで
説明することで、作品の舞台と現実の町を同じように不安定にさせ
「言葉だけで、虚構の町の可能性を納得させられるのならば、果たして、
自分の住む町は本物なのか」と疑心を持たせることに成功しているのかな
とも感じました。

えーと。
おもしろいかおもしろくないかと言われると、おもしろい作品なのだろうと
いう結論になりました。


◇上のようなコメントを、見たアニメ全部にしようとするから、いつまで
たっても書きこめないんですよ。切りがない。
今のところ、見たのは・・・。
『月詠』『ラーゼフォン』『今、そこにいる僕』『プリキュア』『人狼』
『ハチミツとクローバー』『エウレカセブン』『ゼーガペイン』
『アクエリオン』『STRATOS4 色々』『おねがいツインズ』
『かしましガールミーツガール』『よみがえる空』『ティルズオブファンタジア』
『オネティシリーズ』『ガンスリングガール』『ぺとぺとさん』等々・・。
いずれコメントを書くやら書かないやら。
特に、『ハチクロ』『今、そこに』は「オタとは違う作り」を見るには、最適で
唸らされます。

今、そこにいる僕』は、見てて鬱で死にたくなりますが。
意図的にイヤなほうに「ズラした」宮崎アニメ・・。大地丙太郎監督、あなたは。。

今は、忘却の旋律と、プリMAX、円盤皇女見てますよ。
「忘却」は「良い言葉感」を持ってますねぇ。
プリキュアは・・・敵の描写が酷いよ・・。
セーラームーンの怪人、特にトデーンを見習って欲しい。

ワルキューレはOPだけで、お腹一杯・・。久しぶりにキツイ。
おもしろいのかもしれないけども。
ううう。助けて。大福の皮に砂糖入れてハチミツあえしたような。。。


80年代のアメリカの30分アニメのOP集だそうですよ。
つくづく思うんですが、こういうアニメばかりの世界で、アメリカにいる
日本人タイプのオタの人達は飢餓を感じなかったのだろうか・・と。
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