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◇土肥けんすけ 駄々漏れ追記◇     

◎∈∞∋漫画描きの土肥けんすけの雑記やエッセイ∈∞∋◎

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◇先週~ 「布団が・・」「その帽子・・」と同じということ。
◇某日。同人誌、新・盲目市子物語2入稿。 ふう・・。
本編の手直しは今更難しい。それは仕方ないとしても、
カラー表紙も思うように描けないのはなぁ。
奇跡のようには上手くはならないとは思うけども、それにしても。
まぁ、今はあのくらいか。なんかなぁ。

ありゃ。委託ショップに別便で送った納品書の封筒が料金不足で
戻ってきちゃった。 
えー・・・。
今、封書って70円で行かないのか。
メール普及してから、リアル手紙を送る機会減ったからなぁ。
・・考えれば、ハガキなんて年賀状だけだし。
10円切手を足して送り直し。二度手間だ。
まぁ、配達員さんも二度手間ですまないけれど。


◇某日。久しぶりに池袋に行く(いや、即売会では行ったけれど)
久しぶりに長く歩いたが、思ったより体力は落ちてなくて安心。

しかし、なんで私が歩ける条件が整う時期は寒いとか暑いかなの
だろう。
まぁ、春が短すぎるのも原因の一つだけれど。


◇私がなぜ、萌え系統作品での「志村後ろ!」のギャグは
許せて「銭湯で腰に手を当てて牛乳」がもはや辛いのか。
それをずっと考えてたのだけれども・・。

一応、現時点での結論が出たのだった。―あくまで現時点。

先にまとめれば、バリエーションの問題やら後に書くキャラ
パラメータの問題ということかと。


えーと。
「志村後ろ!」は、Aという人間の後ろに都合の悪い存在が
いれば成り立つ。
どこだろうと、いつだろうと、誰だろうと。
「志村」の部分をそのキャラの名前にすれば成り立つし
仮に元ネタ知らなくても成り立つ。

というよりも、そもそも「居てはまずい人が後ろにいる」という
超定番ネタを中心に考え、「志村後ろ」の方が派生の一つと
考えた方が早い。
だから、その自由度からいくらでもバリエーションが出来るので
半永久的に使われることになる。
ゆえに、私は違和感がない。
キャラが誰だろうと、それ以外の要素で違う展開を期待できるから。

対して。
「銭湯腰牛乳は使われる状況が激しく限定される。

まず、元ネタやバリエーションを知っている必要がある。
「そういうおっさんがいた」または「そういうネタが有る」という
のを知っている必要があるということ。

また、場所はほぼ銭湯で(そりゃまぁ・・)、時代はほぼ現代
(ここらは幅があるとおもうが)。
それより何より、ネタとして成立するには基本的にこのネタは
「容姿が整った男女(少年少女」がやるしかない。
普通のおっさんや、三丁目のなんたらのキャラではギャグにならない。
(ここはさらに核心ポイントへと派生するが、それは後に。)

つまり、このネタは繰り返してもそれほど新しい事が増える要素もなく
いつもいつもいつも、同じ様な場所で繰り返され、唯一配役である
「容姿が整ったキャラ」達が入れ替わるだけ・・ということになる。
だから、萌え作品では特にギチギチに動かすところがないネタになって
しまう。(美少年という選択肢が基本欠落するから)

この時点で、おもしろくするのはすでに大変だ。変数少ないし。
それゆえに、私が「腰銭湯」にひっかかる理由の一つは、この選択肢の
狭さ故の、受け取る側の息苦しさにあると言えるだろう。

しかし、実はこれは問題の本質ではなく―。
この「腰銭湯」は、先に書いたように狭い範囲で行われる故に目立つ
だけで、問題の中心に着目して展開すると、実は根本的な
「定番ネタの現代における萌え作品内での辛さ」が見えてくる。

それが、人格設定のパラメータ問題。

この根本問題は、腰銭湯よりは広いバリエーションを持つ定番ネタで
ある「パン咥え少女」「勉強してると他の事やりたくなるよね」
「ダイエットなのに食べちゃった」ネタ等にも当てはまる。

例えば。
キャラクターの性格がむちゃくちゃにバリエーションがあれば、仮に
それ以外が同じ材料で作られた定番ネタでも、(腰銭湯でも)その性格が
意外な展開をもたらすことが期待できる。
だって、漫才とかは舞台やコス、設定は一緒だったりするし。

しかし、もしこの性格設定が
「『自分』の心の中で許せる良識や倫理観、行動様式。」という
心の円グラフのパイから一歩も出ず、そしてそこから切り分けあるいは
基本構成増殖された人格で、それらが個あるいは集団キャラクターして
存在し定番ネタをやったらどうなるか。

先に挙げた漫才で言えば、先生と生徒のコントで、最後の自由度である
人物設定について、「そんなの嫌い」「不適切」「萌えない」
と検閲したら、面白くなる要素はそれらを削る度に無くなるということに
なる。言論封殺ならぬ、性格封殺だ。

具体的に言えば、「ツンデレは許すけど、完全にオレを嫌うのは許せない」
という感じに、ここからここまで!というような検閲が多ければ、当然
その範囲で作られたキャラバランスは先の「腰銭湯牛乳」に限らず、
「パン咥え」等の定番ネタでも身動きができなくなる。結果、反応も展開も
狭い範囲をその中で振幅して塗りつぶし、結局どんな作品でも同じ
「倫理・良識」の反応の方向性を示すことになるだろう。

結論を言えば。
人格範囲を固定した美少女だけのキャラが定番ネタのギャグをやれば
「始めた瞬間にオチが分かる、21世紀の新オヤジギャグ」が最新の絵柄で
作られる可能性が増大する。

だって、変数が限られてるのだもの。

これが、私が取り敢えず得た、萌えギャグ漫画での「志村後ろ!」の
ギャグは許せて「銭湯で腰に手を当て牛乳」がもはや辛いのか・・の結論と
そこから出た全体論。

いやまぁ、まだ考えてる途中なのだけれど。
こうやって書かないと私の脳が許してくれない。書かないと、いつまでも
いつまでもこのことについて考えが止まらないのだった。ごめんなさい。


※補記。
もちろん、「その範囲」で動いてることが気持ちイイんだと言われれば、
それはその通り。そもそも作品全体の質とは関係の無い話。
でも、そういう類いの作品が受けたのがたまたま「ギャグ物」だとしても、
それはギャグとは関係の無い評価だと私は思う。

ここらは、きっちり主張したいところ。
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