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◇土肥けんすけ 駄々漏れ追記◇     

◎∈∞∋漫画描きの土肥けんすけの雑記やエッセイ∈∞∋◎

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短編小説『抜け殻』 第4回(全8回)
←第3回へ

本人がいなくてもいないことにならなかったのだ。ドアを閉めた
としても、内側から
「いや、いるから。いないというのは・・それって何をもって?」
と、存在の声がボソボソポソポソ漏れてくるのだ。それに対する
「いや、君いないから。」
との言い返しは、否定した当人さえ納得出来てないため、説得
力を持ち得ない。

存在の宣言について・・。
その人がその人であるというのを他人が認識するのは、本人が
「そうである」と宣言するだけではだめなのだろう。
様々な極・周辺のモノ物者・・、服や髪型、生活品、発言、他人
からの当人情報、それらが寄り集まって輪郭を固め、結果として
出来る認識の空間、皮ではない、しかしサナギの中身ではない、
サナギと内側存在の狭間に生じるものこそが
「その人である」ということの実体なのだ。

それはつまり逆に言えば
「たかが本人がいないくらいでは、どうしようもなくその人は
存在してしまう」ということでもあるのだろう。

結局の所。他人と、感情感覚を完全に融合させることは出来ない
のであり、ゆえにこそ約束事の更新の積み重ねの中で我々は
「他者」を認識し生きている。
自分以外の人が、単に自分以外の存在ということではなくて、
突出して、あるいは平凡にぽっこり独立した人間であるという
確認が日々認識され構築更新され続けていく。

いや、他人だけではない。己自身だって、実際はそうだ。髪の
長い人が自分と認識しきれずに髪の先を電車のドアに挟んだり
することはままあるものだ。まだ、その部分はうまく自分になって
いないというのも一因だろう。

こんなことはよくあることで、ジュースを飲むつもりで口をつけたら、
実は牛乳。でも一瞬舌が「牛乳を待っていたのに」という抗議の
反応と共に牛乳の味の幻想を脳が見てしまう。
また、潰れた店が新しくなった時に前の店がダブって見える現象。
止まったエスカレーターで体がぐらつく例の奴。
いくらでもある。

これほどまでにあやふやな世界の中、我々は漂っている。

つまり、我々の心体は単純停止した現実ではなく、多角・流動的な
たゆまぬ内外の更新の中で生きている。
いや、その流動こそが現実の正体なのかもしれない。

その意味で・・。
やはり、あまりに彼はまだここに居過ぎる。
しかし、だとしてもそれは―

しばらくしてから、まず僕の方が口を開いた。
彼さ。親兄弟いたっけ。
坂口は一瞬考え
「・・・。いやぁ。もう、いてへん言うてた思う。親戚くらいなら、いる
思うけどな。そぉいう歳や、オレら」
恋人は―、と口にしそうになって、いたら僕らとつるんで
うろうろしたり泊まったりしてないかと気づいて苦笑した。
笑ってる場合じゃないんだけど。

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