◇土肥けんすけ 駄々漏れ追記◇     

◎∈∞∋漫画描きの土肥けんすけの雑記やエッセイ∈∞∋◎

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) Comment(-)
◇この場合、先に産まれた方が弟でしたか?
◇双子とか三つ子とか産まれた
ご家庭で・・・。

育てている途中で、どちらが
どちらかわからなくなることは
ないんでしょうか。
「わが子を間違えるはずなど」
というのもわかるのですが
でも、人間のやることですし。

いるのだろうと思うのです。
口には出さないけれど
「なんか、こないだの風呂から
逆にしたような気が」とか
思っている親御さん達。

まぁ、そうならないために
必死にホクロとか覚えては
いるんでしょうが。
・・タグつけとくわけにも
いかないですしねぇ
(でもないのかな)

どちらにせよ、気になっても
基本的に一生言いにくい
気がします。

なので、いつか
「嗚呼、兄弟・姉妹を逆に
しちゃったかも・懺悔の会」
とか、あちこちに立ち上がる
やもしれませんね―。
スポンサーサイト
◇エロマンガを描いているか寝ているのですよ。
◇読みきりを載せてもらった阿吽が、もうすぐ発売。いや、もう出たのかな。
タイトルは「放送部の関谷範子さん」です。ごく普通の女の子の話です。
よろしくお願いします。

 ~☆読者様用、一口コメント~ ここは、出来れば読んでから見てください。
-----------------------------------
個人的に言えば・・私としては・・・、側にいて心が落ち着くのはこのタイプ
でしょうねぇ。美人でもなく、体も・・まぁ、普通だし。・・・。もう少し
胸は欲しい・・かな。
性格はそれなりに明るく、喋り好きでこっちが黙ってても楽しそうに話してるという。

もう一度描く時は「放送部」として描きたいですね。
もちろん、同じ学校にいる放送部の生徒も一緒に。はい、「そういうこと」を狙ってます。

-----------------------------------

◇西原理恵子さんの旦那さんで、戦場カメラマンの鴨志田穣さんのエッセイ集
続ばらっちからカモメール――最後のラブレター』を何気に読んだのですよ。

相変わらず、西原さんのマンガ通り酒を飲んでいるというか、飲まれている―
のですねぇ・・・とか思っていたら、酒でやられてエライことになっていて
離婚で入院で脱出でむちゃくちゃのようです。

大丈夫なのだろうか、この人は
とか思いつつ、やけにエッセイの舞台に見覚えがあると思って読んでたら
そういや西原さんの家はうちの近所だったことを思い出し、飛び降りが
あったというデパートってどれだっけとか首をひねりました。・・・。
んー。NHKでは有名なマンガ家さんも、確か去年。
―とか色々考えつつ、読み終わり、はてこの本は数年前に出たものだけど
なら、この人のアルコール中毒はどうなったのだろうと気になって、調べたら
ネットにエッセイがありましたよ。
それを、ふむふむと読んでみたら・・・。

ああ・・。どうして、こういうことになってしまうのだろう。
カモのがんばらないぞ』うーーーーん。
いや、頑張ってくださいよ・・ほんと。


ナムコのMSXゲーの、裏注意書きだそうですが。
ネタじゃないところが、すごいですね。



◇温泉(銭湯)にいかないラブコメと、キャラがそろったのに野球の試合を
しないギャグモノってどっちが少ないのだろう。
というか、元祖は何だろう。
風呂は、「うる星」で見たのがたぶん、最初だけど・・。
野球は「1、2のアッホ」だったかな。たぶん、もっと前にもあったのだろうな。


◇「さよなら絶望先生」が、アニメ化するとか。演出家が誰かでほとんど
決まりますね。見たいですが。デマ?


◇最近見たアニメ。
『円盤皇女ワるきゅーレS1 S2 S3』『ああっ女神さまっS1 S2』『Avenger』

今は、シャナと、Stellviaを見始めているところです。
感想書く余裕はないですね・・。グルグル(初期シーズン)も見てますよ。


    ※ここからは年末に書いたものです。
-----------------------------------

06 12/頃
◇で、見たアニメの感想など・・・。


◎「おねがい☆ツインズ」
私はナニを勘違いしたのでしょう。
この作品を見始めたとき、もっとパズル的に写真や過去のことが解かれて
いき、それが「居場所」のテーマと重なり、伏線化して見せ場になると
思ったのですが。
いえば、前作が「停滞」ということを物理的精神的に伏線としてさまざまに
散りばめて最後に集約したように。

まぁ・・。
そういうのは一箇所だけで、「ああ、なるほど矛盾点はそういう風に受け
取ってくれ、流してくれということで、説明はしないつもりなのだなぁ」と
気づいたのが終わる寸前で・・・ 見る姿勢の「起動」修正であたふた
したのですよ。

そーして、頭の中で整理し直しましたが。
うーーん。これと言って印象に残らない作品なのですが・・。
相当後まで話が進んだところでも、伏線の入れ返えが出来そうな、切れ切れの
設定が・・・・ちょっと。
マンガ原作なら仕方ないですが。オリジナルでしかも、好評モノの続編だし。
何があったのだろう。

まぁ、前作のが伏線ビッチリだったのをそのまま期待しすぎたのかもしれません。
逆に、遊びはこちらのが多いですね。両方期待しちゃ行けないのかな。
あ、でも舞台にこだわった所は好きです。


  それはそれとして。

少し、この作品から離れる事柄なのですが。(前にも書いた気も)
作品の中で、相手の異性を町中をすれ違いつつ探すという話があったの
ですけれども。あー。それを見ながら、持っていない私ですら思いましたよ。
「携帯は?」―と。

前から感じていたことではあるのですが、確実に人と繋がる手法を得ることに
よって我々は
「すれ違いのドラマ」を失ってしまったようです。

なんていうか、好いているのに会えないと言うことはなくなり、
会えない=会わない=好いていないという図式になりつつある気がして―
そこがなんとも黒白スッキリしていて、し過ぎていてちょっと。
会えないけれども好いているやも―、という薄墨のよさのようなものを無くして
しまった感があります。(ファンタジー、時代劇は別枠ですね)

まぁ、これは電話や手紙などで徐々に失っていったことではあるのですが。
次に失うのは、どこでもドアができた時ですかね。
その場合は、マラリア蚊とかが一斉に世界に広まって、もっと大変なモノが
無くなるのが先ですが。
◇だらだらと、頭痛がするよ。
◇「よみがえる空」というヘリパイロットのアニメを見ていたら
「空を飛ぶのが好きじゃなくなったのは、空が自分を拒絶しているのではなく
自分が空を拒んでいたからだった」というようなセリフがあり、それを聞いて
「あ―。私が絵を描くのが楽しくないのは、そういうことなのかもしれない」
とか思いましたよ。

現在、阿吽の下書き中。
また遅れてます。ちょっとうまく描けないと、すぐさぼっちゃいます。だから
不貞腐れてしょっちゅうサボってます。

 
  ☆ここからは、去年の文章が混ざっています。
   なので、時間経過がむちゃくちゃです。

06 12/31
◇コミケで倒れちゃいました。
と言っても眩暈とかではなく、姿勢が保てなかった―、ということですが。

いえ、スペースで座ったまま横に落ちたチラシを拾い、姿勢を戻そうと
しただけなのですが
「あ。あれ。ああああああ」と十秒ぐらいやった後、体を戻せず倒れてしまい
ました。隣のサークルの人の前に崩れ落ちましたよ。
何か、すごく衰えている気がします。まずい・・・。実は自宅でも何回か。


07 2/某日
◇悪夢のせいか、荒い呼吸で目が覚めました。
(まぁ、息が出来なくて目が覚めるのはほとんど毎日なんですが。)

悪夢と言っても、私が見たのは・・。
どこかの国にある、某国大使館勤務の私。現在は、その国の反乱のとばっちり
にあい、反乱軍の襲来に怯えて日々の生活を送る一般職員という
「どこかの舞台劇か」という夢でした。

最後は、私が夜半に買い物から戻ると中が真っ暗で
「誰かいないの?」と声をかけると知った声で「だめだ。占拠された!」との
悲鳴を聞き、慌てた私は隣家の壁を登り、屋根伝いに逃げて終わりという・・。
悪夢と言って良いのかすらわからない夢でした。
最近、凝ったアニメをやたら見てるせいなのかもしれません・・・。
屋根伝いに逃げるという夢は、今までも何度か見てますけれども。

あ、今ちょっとマンガのネタ出ました。
何か、使えそうなのでここに書けません。ごめんなさい。
どうか、半年後くらいには具体化しますように。

06 12/?頃
◇で、アニメ見てますよ・・・。

『奥さまは魔法少女』
舞台のモデルは、山口県萩市ということですが、思うにここ数年「風景」
と一体化するアニメが増えてるのかな、という気がします。
おねティシリーズとか、七人のナナとか、ラーゼ、ゼーガ、STRATOS4他にも
色々・・・。

私自身も、昔からそういうのが描きたくて、その度に失敗してということが
あって共感できるところがあります。
特に、この話は「風景とそれを含む人」を守るというのがテーマになってる
ようですし。

 ☆以下、しばらくグダグダ文が続きます。これと言って意味はないです。

当たり前の風景や、家族を基本とする人との交わりが壊れ、そのことを指摘
すると「自由に生きる権利を奪うのか」と指差され、戸惑っているうちに
「こんな」になっていき、実際に楽だし、まぁ、そうなって落ちついてみると
「それが自由の形の一つ」なのは確かなのだろうと、理屈自体はごもっとも
で、なるほど、心や体を説得は出来はするものの、なのに落ちついて染みて
こないのは、人が機械ではなくて、生物、動物なのだからだろうと思います。

誰も見ないノートの切れはしに「幸せの方法」の正しい方程式だけを残したと
しても大地から人類の姿が消えた場合、その行為に実があったのを証明して
くれるのは誰なのかというそもそもの問題・・。

だから。
その「幸せの方程式」が理論上正しいとしても、人であるところの元ネタの
生物本体や、その営む生活が、確固とした理論の上に組み上げられたものでは
ない以上、ジグソーよろしく理屈がピタリ当てはめると考えること自体が
笑止笑止であり、むしろ結果不幸になり・・あるいは極端な話、滅ぶのは
不思議でもなんでもないわけです

いや、逆に言えば・・。
方程式として切り分けられないグダグダのものを切り分けたらグダグダになる
のは当然なので、なのだから、それを含めた「幸せ方程式」を作れば、それは
それで成り立つのだろうとは思います。 だがしかし。
それをするには、「人は基本グダグダであるのだから、その揺らぎを式に
入れるべき」と主張し是正しなければならず、その場合グダグダの元である
「人、動物としての業」を認め時に汚い部分やら本能を認めねばなりません。
そうすると、そうなると、我々が実の所は見れたものではない存在であると
いうのを、高らかに、公に、あからさまに宣言し、どころか書面数値化して
日々直面しなければいけないということで―

それも、なかなか認めがたいのだ―・・というもわかります。もちろん。

そのように、結局のところ社会生活の中では言えないことなどは、もはや
置いておこう、放っておこうと暗黙の中で落ちつく所に落ちついて―
でも、そうは言っても・・・でも。
人間としての正しさを生物としてのものより綺麗事で優先させることの軋み、
それはギシギシメキメキぐらょひょひょひょと心と体を結構確実に刻み
「ああ、わかったそうだよな」と頷き、ならぱと妥協し落とし所ということで
結果として一番言いたいことは直に言わず
「外堀から埋めて行く」という手法が―
「風景を守る」という、外側・外堀からのアプローチなのかと。はい、そう
思いましたのですよ。

 で、ここで話を戻します。

一番身近な他者との外堀は、家族との関係性であるわけで、居住する空間が
それらを補強内包します。
それらは、複数で近所として関係性として広がり、外周を作ります。
で、その一般生活の関係性の外堀で、一番象徴的なものこそ
「住まう場所としての目に入る風景」なのだろうとかと。
その外堀から、取り戻そうとしているのだな・・・、それを落とし所として
イメージしているのだな、この作品は、と私は思っています。いや
「奥さまは・・」の話ですよ。

つまり、住まう風景から取り戻して、逆算してそこに住まう家族を、最後に
人を取り戻していくという手法かなと。

これがもし逆に、個人(あるいは家族)から取り戻そうとする手法だと
人が壊れた結果としての町、言わば「壊れた関係性を良しとする状態で都合
良く住める所としてあつらわれた場所」に不自然に、人、家族を置くことに
なり、到底「取り戻したいもの」を築く状態にリアリティを持たせられないと
いうことなのでしょう。

生活導線が壊れた風景や家庭に取り戻したい家族の形を置くのは―
一種暴力ですので。

その意味で、主人公の奥様が求めたのは、絵としての風景というより、それを
愛することが出来る心を持った人々であり、その結果としてそれを保てるのが
あの風景だったと判断したのかとも思います。

あそこには、あの町には、子供の集団や変くつ住人や、年寄りの尊敬される
人等、あの風景があってこそ生存が許される人々がいます。
あそこでなければ、危険な目に合い、排斥され、そして邪険にされる人々。

あの環境を失わせたものこそ、「正しい方程式」として計算されたときに切り
捨てられた端数であり、人としての論理の正しさのごり押しにより失われた
生物としての隠れ住む「何か」であり、まさに「奥さま」の敵だったのだろう
と思います。

まぁ、私が言っていること自体、外堀から、外周から、言っているのです
けれども。言えないからですね。つまりはそういうことですね。
この環境を失わせ「地域のカギになる基本的な何かを奪ったもの」の対極が
「奥さま」というのを考えれば、敵の本丸にいるものの本性がどういうモノ
なのかはおのずから想像できる気もしますが。
繰り返しますが、ナニかを敵に回すのはイヤなので言いませんよ。
もちろんオタではなく。

でも、外堀から埋めていけば「綺麗ごとの人としての正しさ」をいつか
黙らせ、身動きさせられなくなる手法も可能であり、(綺麗事ゆえ、形のない
手法には弱い)それによってナニか生き物としての端数を取り戻せるのかも
知れません。なるほどなるほど。


まぁ、抽象的な御託は置いて。(私にも困ったものです。ほっとくといつも
コレですよ)

えーと。
この話は、一度町を消したシーンがあった方が良かったのか、それともやはり
無くて正解だったのだろうかとか考えました。

このアニメ、町が失われ、虚構があらわになるシーンがなぜかありません
でした、ほぼ。そのシーンが無かったために、「町は幻想」ということに
強い説得力を持たせられなかった気もしますが・・。
でもしかし。
むしろそこの所は置いておくことで、存在感の強固性を視聴者が住んでいる
町との共通に出来、にも関わらず不安定なところであると主に言葉だけで
説明することで、作品の舞台と現実の町を同じように不安定にさせ
「言葉だけで、虚構の町の可能性を納得させられるのならば、果たして、
自分の住む町は本物なのか」と疑心を持たせることに成功しているのかな
とも感じました。

えーと。
おもしろいかおもしろくないかと言われると、おもしろい作品なのだろうと
いう結論になりました。


◇上のようなコメントを、見たアニメ全部にしようとするから、いつまで
たっても書きこめないんですよ。切りがない。
今のところ、見たのは・・・。
『月詠』『ラーゼフォン』『今、そこにいる僕』『プリキュア』『人狼』
『ハチミツとクローバー』『エウレカセブン』『ゼーガペイン』
『アクエリオン』『STRATOS4 色々』『おねがいツインズ』
『かしましガールミーツガール』『よみがえる空』『ティルズオブファンタジア』
『オネティシリーズ』『ガンスリングガール』『ぺとぺとさん』等々・・。
いずれコメントを書くやら書かないやら。
特に、『ハチクロ』『今、そこに』は「オタとは違う作り」を見るには、最適で
唸らされます。

今、そこにいる僕』は、見てて鬱で死にたくなりますが。
意図的にイヤなほうに「ズラした」宮崎アニメ・・。大地丙太郎監督、あなたは。。

今は、忘却の旋律と、プリMAX、円盤皇女見てますよ。
「忘却」は「良い言葉感」を持ってますねぇ。
プリキュアは・・・敵の描写が酷いよ・・。
セーラームーンの怪人、特にトデーンを見習って欲しい。

ワルキューレはOPだけで、お腹一杯・・。久しぶりにキツイ。
おもしろいのかもしれないけども。
ううう。助けて。大福の皮に砂糖入れてハチミツあえしたような。。。


80年代のアメリカの30分アニメのOP集だそうですよ。
つくづく思うんですが、こういうアニメばかりの世界で、アメリカにいる
日本人タイプのオタの人達は飢餓を感じなかったのだろうか・・と。
ただただ、佇むのみ。
◇恐らくのところ・・・。

自分は一生、実際にシルクハットをかぶった
人を見ない可能性もあるのですが、もちろん
今までも見たことがないのですけれども―
なのに、見たことがあるような気になっている
わけです。
で。同じように、空の果てが宇宙に繋がってる
のを見ることが一生ないだろうに、今までも見た
ことがないのですけれども―
見たように思っていることは、共に単なるデータで
知っているという点では、差異がないだろうに
どことなく感情的な残念さに差をつけてる感が
あるのが―・・
すごくいやです。
どっちも、データなのに。

そうやって、感情がデータによって気軽に動か
されることが当たり前になるのが―・・
すごくいやです。
だって、行き過ぎたらパブロフの犬よろしく一定の
パターンの刺激によってヨダレをたらすが如くになる
気がするのです。

言葉でさえ・・。
いえ、基本の言葉だからこそ
「人につけられた味付けの言葉」や
「踏み固められた慣用句」を投げつけられてるのに
自分で考えたように使い、そしてそれが―
そしてその組み合わせが―、感情に結び
「『自分で考えている』と、実は人に考えて貰っている」
という事態に陥っているという状態を、他人の
思考の中に見る時、唖然として、としたら私もなの
だろうかと気持ち悪くなります。
いえ、訂正します。私もそうなのです。
気持ち悪いです。

その、己のブラックボックスの気味悪さと共に
自分の思考への他者の触れ具合が気持ち悪くて
眩暈がします。
どこまでが、自分の本質的な思考の流れとして
過去から蓄積演算フィードバックして現出している
もので、どこまでがお仕着せなのか。
分けられるのか、られないのか。
そも、分ける必要があるのか、ないのか。

それらの思考を洗い直そうとするたびに、当の
表現する言葉を洗い直すことになり、捨てることと
なり、当然の事ながら、その度に使える言葉が減って
いき、そもそも思考について考える言葉自体に疑問が
あるのなら、それを調べるすべはあるのだろうかと
考えて、そして挙句の果てに

「そう考えている自分の思考自体が与えられたもの
ではないか・・・」

と言う―・・

いかにも与えられた思考らしい、腐ったご満悦の
どこかて聞いた慣用句に行きついたとき、

私はただただ、佇んで止まっていくのです。
◇切りがないので、書きます。
◇切りがないので、書きます。

色々書きためているのに、全く外に出すタイミングと気力がなく
切りがないので、書きます。
だもので、数ヶ月分がごっちゃになってる上に時間軸がめちゃくちゃで
人格も四分五裂してますね。取りあえず、少しだけ・・貼りつけます。
いや、日を分けて貼り分けます。普通、そうですよねぇ。


◇さっそくですが。
次回の阿吽に私の原稿が載るのは、四月末になりました。
今月末ですらないということです。
え~。
ページが取れなかったそうです。仕方ないですよね。
私、デタラメなスケジュールで入稿しましたし。
はぁ・・。

でも、正直「生活困るなァ」より
「スケジュール伸びてダラダラサボれるなあ」とか
「慌ててマンガ描かなくてすむなァ」という気持ちのが大きく、我ながら
イヤになります。
少しは能動的に色々やらないと・・―、能動的にならないんですよねぇ。
うーん。能動的ってそれ自体が目的になるとかなり無意味で、むなしい
ですね。
頑張るためには頑張らないといけない、みたいなことですね。
でも、どうして―という。

とか書いてたら、編集部から連絡があって「やっぱり三月末に載ります」
とのこと。誰か落とした・・ようですね。  コメントを送らないと・・。
ありがたいし、そうも思うのですが―、ダラダラ出来なくなったなぁ・・
と思う自分がとてもイヤです。


◇去年の末頃から今年にかけて―
私が、どれくらいアレな状態だったかと言うとですね。

コミケの申し込みセットを会場でゴミと一緒に捨てていたことを
年が明けてから気づいたくらい・・ボーッとしてたわけなんですよ。
たぶん― チラシと一緒に捨てちゃたんでしょうねぇ。
運良く(?)前回あたりからネット申し込みが出来るようになって
いたので、そちらで済ませましたが。
あー。
これは楽ですね。
もしうまく取れてたら、次回からもこれでいきます。

◇で、アニメ見てますよ・・・。

◎「おねがい☆ティーチャー」
「停滞」という設定がおもしろかったですね。
「男性キャラが積極的でない理由」を、もしかしたらありえそうだけれど、
ないだろうという、微妙な、しかも心ではない(?)物理的な要因に求める
ことで、見ている方が自分や世間・現実と類比した時の違和感を減少させる
のに成功してるよう感じにとれて、なるほどなぁ・・・と、思いました。

例えば。
もっとリアルな理由「単なる暗さのためのイジメによる」とかだと
「消極的な理由は自分と同じだけれど、こういう感情の動きは俺はしない。
だから感情移入できない」などと言われかねない所を
「だって、消極元凶の理由が類推不能なことでしょ。現状は同じでも」
と、感情移入の(大抵は)弊害にはならないように作られていて、感心しました。

それはともかく。
オリジナルアニメだと、シリーズ構成がちゃんと出来るので、一話でいきなり
ラブラブにしなくていいから、まとまりがいいですね。
原作がマンガの作品とかって、最初の数話で人気取らなければいけないので
それはそれは、男キャラのモテ方が無茶で、いかに後々リアリティをつける
かで苦労していることが多く、それのつじつま合わせでシリーズ構成が
泣いているようなのが多い気がします。(いちご100%とか)

それにしても、やっぱり黒田さんの脚本でしたか。
言葉遣いというか、言葉の選び方と言うか思考の形態というかが丁寧なので
この人の「言葉」が結構好きです。確か、サミーとかスクライドとかも
そうでしたよね。あ、リヴァィアスもか。

それだけに、骨まで切るような辛いセリフもありますが。でも・・。
慣用句セリフというか、明らかに他人の押し着せ思考だけで組み合わさって
動いているだけの作品は・・見ているのが・・・ナニなので、辛いセリフでも
良いです。
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。